新人公演に寄せて
新人公演、終わりました。
今回は私らしくなく、ちょっと真面目に、長く書くこととなります。
新人公演について、毎回、思うところはあります。
誰が受賞したか、これには多くの人の関心が寄せられるでしょう。
えー、あの人が??こっちの人の方が良かったのに、とか。
でも、客席のどのあたりで観るか、によっても見え方は違うものだし、そもそも、審査員の方の思うフラメンコもそれぞれなのです。
だから、実際、誰が受賞するか、ほぼ、運だと私は思っています。
もちろん、技術的にあまりにも未熟な方は別ですし、まさに、確実なフラメンコ的身体能力で受賞された方々もいらっしゃいます。
けど、やっぱり、運、です。
さてバイレについてですが、毎年言われていることのうちの一つに、三日間のうち、初日が不利、という点。
確かに、初日と最終日、同じくらいの印象の人がいたとしたら、最終日の人の方が記憶に新しいのは仕方のないことです。
けど、勝負(?)は時の運。どこに置かれようが、与えられた中でやるしかないし、初日で受賞された片も多くいます。
たとえ二日目、最終日であっても、衣装の色や登場の仕方がかぶってしまったり、同じ曲が何曲も続いたり、なんてざらですよ。
だから、とにかく、きちんと勉強しながら、自分のやりたいことを純粋にやりぬく、それに尽きると思うし、やりたいことの振付ができない人は、先生に見てもらって(まず先生を信じることが基本ですが)、最終的に自分の納得のいくように踊るしかありません。
ですが、さすがに今年に関していえば、初日の人は可哀想だったとちょっと思ってしまいました。
カンテデラミーナス出演権の人も、新人公演エントリー者と同じ舞台。
そうなると、経験値があまりにも違いすぎる。
事実、出演権を獲得した人の一曲の印象があまりにも強すぎて、最終日になると、初日は獲得者しか覚えてない、という観客の人は多かったと思います。
これは仕方のないことなのでしょうか?
答えはノー。
だって同じ土俵ではないからです。新人公演にエントリーされた人たちの何人がカンテデラミーナスの出演権を狙っていたのでしょうか。ほとんどいないと私は思っています。
もし今後も、カンテデラミーナスの出演権獲得コンクールがあるとしたら、タブラオでやるべきなのでは、と思います。
そしたら、お金だってそれほどかからずに、単体でできるのではないでしょうか?
エスペランサなんて、とてもフラメンコの場所ですし、ピッタリだと私は思うのです。
多くのスペイン人だって、タブラオで失敗しながら鍛えられ、フラメンコを学んでいっている。
タブラオで十分判断できると思います。
それと、パンフレットの最後の方にある、告知、飛び上がるほど驚いてしまいました。
伴奏者の参加資格に関しても、フラメンコ協会会員であること、と調整を進めている。。?
今日本で仕事しているスペイン人のアルティスタも何人か会員になったと聞きましたが、毎年会費を払うことを彼らはご存知なのでしょうか。
まぁ、知っているとして、では、これが決定されたら、スペイン人伴奏者は会員である彼らのみの出演になるということ?
今年、素晴らしいフラメンコを聴かせてくれたモイ・デ・モロンやパコ・イグレシアス、過去にもイベリアが招聘してくれた素晴らしいアルティスタを新人公演では聴けなくなるということでしょうか。
また、会員でない人に頼みたい場合、その負担はまた踊り手にかかってくるということ?
さすがにこれは行き過ぎていると感じます。
この国で、フラメンコで食べている私としては、フラメンコ協会があるということ、そしてこういった公演を企画してくださること、に本当に感謝をしています。が、これはどうしたもんでしょうか。。
最後に、さっき知ったのですが、今年からアクースティカの新人公演応援団の講評がなくなりました。
どうやら、去年の出演者から、写真を勝手に掲載されたことなどで、協会にクレームがあったみたいですね。(講評で書かれたことに納得がいかなかったのかもしれません。)
協議の結果、今後、写真は協会専用にする、とか。
だったら、写真なしでいいから、講評書いてほしい、と思う出演者や読者はたくさんいるのではないでしょうか。
私もその一人です。
ですが、これまで、自分たちには何の得もない、嫌われ者覚悟で、そのページを作っていたアクースティカさんからすると、ばからしくなって、じゃあもうやめましょう、というのは当たり前だと思います。←あ、これはあくまでも私の想像です(笑)
あれほど丁寧に、一人ずつのことを書いてくれるものは他にはありません。
人前で踊るというのはどういうことなのか、ただ人に褒めてほしい、傷つきたくない、という人は、有料で踊りを見せる場所で踊ることは諦めた方がいいと思います。見に来てくれる人には、すべてを自分が負担して、'ダメ出しお断り'の看板を掲げて、無料で見てもらう、それしかないでしょう。それでも、観る人の自由(感想などの)を奪うことはできません。
新人公演は千人以上?もの人が入るホールで行われます。
どんな人が見に来るか、何言われちゃうんだろう。実際、怖いです。
でも、どうして出場することを決めたのか、今一度立ち止まって思いだし、ある程度、気持ちに折り合いをつけ、覚悟を決めてやるしかありません。
たとえ、うまくいかなくて(または自分ではうまくいったと思っていて)、厳しい評を書かれて傷つく、ということもあって当然なのです。
でも、それは今後の長いフラメンコ人生において、必要なことだし、足りない部分を指摘されるというのは、その瞬間、自分と自分の踊りに向き合える貴重なチャンスが訪れているのです。
しかもそれを指摘してくれている人は、何の関係もない人。その人の主観だとしても嘘偽りのない言葉なのです。(今ここで、主観と客観について論じる気はありません。.)
まさに、生かすも殺すも自分次第。
そして、何かをやるには、覚悟が必要です。
今回は私らしくなく、ちょっと真面目に、長く書くこととなります。
新人公演について、毎回、思うところはあります。
誰が受賞したか、これには多くの人の関心が寄せられるでしょう。
えー、あの人が??こっちの人の方が良かったのに、とか。
でも、客席のどのあたりで観るか、によっても見え方は違うものだし、そもそも、審査員の方の思うフラメンコもそれぞれなのです。
だから、実際、誰が受賞するか、ほぼ、運だと私は思っています。
もちろん、技術的にあまりにも未熟な方は別ですし、まさに、確実なフラメンコ的身体能力で受賞された方々もいらっしゃいます。
けど、やっぱり、運、です。
さてバイレについてですが、毎年言われていることのうちの一つに、三日間のうち、初日が不利、という点。
確かに、初日と最終日、同じくらいの印象の人がいたとしたら、最終日の人の方が記憶に新しいのは仕方のないことです。
けど、勝負(?)は時の運。どこに置かれようが、与えられた中でやるしかないし、初日で受賞された片も多くいます。
たとえ二日目、最終日であっても、衣装の色や登場の仕方がかぶってしまったり、同じ曲が何曲も続いたり、なんてざらですよ。
だから、とにかく、きちんと勉強しながら、自分のやりたいことを純粋にやりぬく、それに尽きると思うし、やりたいことの振付ができない人は、先生に見てもらって(まず先生を信じることが基本ですが)、最終的に自分の納得のいくように踊るしかありません。
ですが、さすがに今年に関していえば、初日の人は可哀想だったとちょっと思ってしまいました。
カンテデラミーナス出演権の人も、新人公演エントリー者と同じ舞台。
そうなると、経験値があまりにも違いすぎる。
事実、出演権を獲得した人の一曲の印象があまりにも強すぎて、最終日になると、初日は獲得者しか覚えてない、という観客の人は多かったと思います。
これは仕方のないことなのでしょうか?
答えはノー。
だって同じ土俵ではないからです。新人公演にエントリーされた人たちの何人がカンテデラミーナスの出演権を狙っていたのでしょうか。ほとんどいないと私は思っています。
もし今後も、カンテデラミーナスの出演権獲得コンクールがあるとしたら、タブラオでやるべきなのでは、と思います。
そしたら、お金だってそれほどかからずに、単体でできるのではないでしょうか?
エスペランサなんて、とてもフラメンコの場所ですし、ピッタリだと私は思うのです。
多くのスペイン人だって、タブラオで失敗しながら鍛えられ、フラメンコを学んでいっている。
タブラオで十分判断できると思います。
それと、パンフレットの最後の方にある、告知、飛び上がるほど驚いてしまいました。
伴奏者の参加資格に関しても、フラメンコ協会会員であること、と調整を進めている。。?
今日本で仕事しているスペイン人のアルティスタも何人か会員になったと聞きましたが、毎年会費を払うことを彼らはご存知なのでしょうか。
まぁ、知っているとして、では、これが決定されたら、スペイン人伴奏者は会員である彼らのみの出演になるということ?
今年、素晴らしいフラメンコを聴かせてくれたモイ・デ・モロンやパコ・イグレシアス、過去にもイベリアが招聘してくれた素晴らしいアルティスタを新人公演では聴けなくなるということでしょうか。
また、会員でない人に頼みたい場合、その負担はまた踊り手にかかってくるということ?
さすがにこれは行き過ぎていると感じます。
この国で、フラメンコで食べている私としては、フラメンコ協会があるということ、そしてこういった公演を企画してくださること、に本当に感謝をしています。が、これはどうしたもんでしょうか。。
最後に、さっき知ったのですが、今年からアクースティカの新人公演応援団の講評がなくなりました。
どうやら、去年の出演者から、写真を勝手に掲載されたことなどで、協会にクレームがあったみたいですね。(講評で書かれたことに納得がいかなかったのかもしれません。)
協議の結果、今後、写真は協会専用にする、とか。
だったら、写真なしでいいから、講評書いてほしい、と思う出演者や読者はたくさんいるのではないでしょうか。
私もその一人です。
ですが、これまで、自分たちには何の得もない、嫌われ者覚悟で、そのページを作っていたアクースティカさんからすると、ばからしくなって、じゃあもうやめましょう、というのは当たり前だと思います。←あ、これはあくまでも私の想像です(笑)
あれほど丁寧に、一人ずつのことを書いてくれるものは他にはありません。
人前で踊るというのはどういうことなのか、ただ人に褒めてほしい、傷つきたくない、という人は、有料で踊りを見せる場所で踊ることは諦めた方がいいと思います。見に来てくれる人には、すべてを自分が負担して、'ダメ出しお断り'の看板を掲げて、無料で見てもらう、それしかないでしょう。それでも、観る人の自由(感想などの)を奪うことはできません。
新人公演は千人以上?もの人が入るホールで行われます。
どんな人が見に来るか、何言われちゃうんだろう。実際、怖いです。
でも、どうして出場することを決めたのか、今一度立ち止まって思いだし、ある程度、気持ちに折り合いをつけ、覚悟を決めてやるしかありません。
たとえ、うまくいかなくて(または自分ではうまくいったと思っていて)、厳しい評を書かれて傷つく、ということもあって当然なのです。
でも、それは今後の長いフラメンコ人生において、必要なことだし、足りない部分を指摘されるというのは、その瞬間、自分と自分の踊りに向き合える貴重なチャンスが訪れているのです。
しかもそれを指摘してくれている人は、何の関係もない人。その人の主観だとしても嘘偽りのない言葉なのです。(今ここで、主観と客観について論じる気はありません。.)
まさに、生かすも殺すも自分次第。
そして、何かをやるには、覚悟が必要です。
スポンサーサイト
Comment
[560] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[561] Re: タイトルなし
Mさん、コメントの返信、どうも直接送れないみたいなので、こちらにお送りします。
まずは、メッセージありがとうございました。
あの一文を書くことは、私も迷ったんですが、一瞬でも誰かの目に触れて、ご本人に伝わればいいなという気持ちで書いたので、しばらくしたら削除するつもりでいました。
私のblogは、スタジオの生徒さんもほとんど読んでくれてないみたいなので(笑…知らないのと、あまり更新しないので)、誰も読まなければそれはそれでいいかな、という気持ちでいます。
でも、Mさんみたいに偶然読んでくれる人もいるなら、少しずつ、思ったことを書いてみるのもいいですね。
踊り手は、文章にするより、踊ってなんぼ、ですが、たまにはいいかもしれません。
まずは、メッセージありがとうございました。
あの一文を書くことは、私も迷ったんですが、一瞬でも誰かの目に触れて、ご本人に伝わればいいなという気持ちで書いたので、しばらくしたら削除するつもりでいました。
私のblogは、スタジオの生徒さんもほとんど読んでくれてないみたいなので(笑…知らないのと、あまり更新しないので)、誰も読まなければそれはそれでいいかな、という気持ちでいます。
でも、Mさんみたいに偶然読んでくれる人もいるなら、少しずつ、思ったことを書いてみるのもいいですね。
踊り手は、文章にするより、踊ってなんぼ、ですが、たまにはいいかもしれません。
[562] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[563] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます